ぼっちの境目
最近眠くてたまらない。将来のことばかり考えて、ついついスマホばっかりいじってしまう…。
というわけで今回は僕の心の鬱憤をここに吐き出してしまおう、ということがこの記事を書くに至った経緯となります。
僕は本当にぼっちなのか?
僕はこれまでの人生、ずっとぼっち側の人間だと思っていました。
そもそもいつからぼっちかというと、中学生の頃グループの一部から浮いてしまい、良くない立ち位置になってしまったことが、発端だったと思います(詳しくはまた別の記事に書きます)。
それ以来僕は大きなグループ、つまり陽キャの仲間にはなれないと悟り、陰キャとしてひっそりとやってきました。
しかし、常に孤独というわけじゃなく、一人、二人は一緒に居られる友達が中学、高校、大学生の今現在もいることに気付き、
あれ実は僕はぼっちじゃないじゃん!?と気づいてしまったのだ!!!
このブログ名をも揺るがすような重大な事に気付きましたが、また別の疑念がわいてきました。じゃあなんで僕はこの現状に孤独感を持っているんだろうということに。
友達のいるぼっち?
皆さんが思う友達とは一体どんな人のことをいいますか?普通は一緒に遊んだり、愚痴を言い合ったりするなど行動を共にするようなことする人のことを指すと思います。もちろん僕もそう思いますし、僕も数少ない友達とは一緒に行動することはよくあります。
このことから、友達がいることで必ずしも孤独感を拭えるわけではないということが分かりました。では、なにが違うのか。僕の考えでは友達への接し方が違うという結論になりました。
友達のあり方
僕にとって友達とは一緒にゲームをしたり勉強を教えあったりする仲間だと思っていました。しかし、振り返ってみると僕は全く友達と感情を共有することをしていないということに気づいてしまったのです。なぜなら僕はいつも受け身で相手の話を聞くため、人の話題の感想を言うことをあっても、僕が自分の話をすることは全くといってない!!からです。こうなってしまった原因は中学時代のトラウマが関係していると思うので、今後も探っていきたいと思います。
まとめ
友達がいるのにもかかわらず、孤独感を感じる原因として、自分を出して話すことが出来ていないということが分かりました。原因は分かったので次はこの対策を考えていきたいですね。
今回の記事では深く自己分析が出来たと思うので、自分で書いていて良かったなと思いました。これからも続けて、性格の修正に役立てて行きたいと思います。ぼっちの判断基準としては、孤独感を感じるかどうかだと僕は考えているので、寂しさを感じなくなるまではぼっちでいさせて下さい。(こんな言い方も変ですが…笑)
ではまた、次の記事で会いましょう!